最後のダンス(前編)

ぼんやりと窓から外を眺めていた。

平和だな

などと、しみじみ思える程に、今の私は幸せだ。

ス」

ん?

背後から声が聞こえる。

「アラミス

呼ばれてたのか

そこでようやく、アトスの存在に気付き振り向く。

「何度か呼んでたが大丈夫か?」

「ごめんぼんやりしてた

「そうか具合が悪いとかでなければいいんだ

そう言いながら、私の肩に手を添える。

あんなに神経を尖らせていた頃の自分は、一体どこに行ってしまったのだろう

そう思える程に穏やかで平和な日常

そう

私は今、アトスと共に生きている。

銃士を辞めて3年

領主として領地を治める伯爵の奥方という立ち位置が、正直今でも擽ったい。

アトスが旦那様とか伯爵とか呼ばれているのは、だいぶ慣れたけど

自分が奥方様と呼ばれていることが、今でも慣れない。

それでもアトスは私を自由にさせてくれた。

ドレスだろうがズボンだろうが、好きな服を着させてくれたし、

そんな私を顰める者達から擁護してくれた。

馬だって好きな時に乗れるし、アトスが仕事で暗礁に乗り上げた時は私に意見を求め、

一緒に打開策を考えたり

私という人間を、ただ護られるだけの存在ではなく、対等に

公私共にパートナーのように扱ってくれるのが嬉しかったし、とても居心地がいい。

別にドレス否定派ではない。

ただ、動きやすいズボンの方を好んでいるだけの話だ。

馬に乗りたい時は、朝からずっとズボンだけれど、何もない日はドレスだって普通に纏う。

あまり華美でなくていい。

周囲の人に対して失礼のない範囲であれば、特にこだわりはない。

女中頭は今流行りのドレスを勧めて来るけど、適当に躱している。

仕立てるためのサイズ計りから、どっと疲れるのだ。

それは大きな声で言えないけれど

銃士という肩書を外した自分は、一体どうなるんだろうと懸念していたが

思ったより安定して生きている。

アトスが傍に居てくれるからだろう

私は知っている。

アトスが私と結婚するに至るまで、たくさんのハードルを越えてくれたことを

 

 

銃士として生きてきた私は、数年前にアトスに告白された。

とっくにそういう関係だったので、好きだとか愛しているという言葉は

ベッドの中でお互いに声にしていたし、実際に私はアトスがいなければとっくに

心が折れていただろう

でもアトスからの申し出は、そんな簡単に受けることができない程に尊いものだ。

楽しく身体を重ねるだけの関係なら、それで良かったのかもしれない。

けれどアトスの告白は、私と結婚して共に領地に行って欲しいと

正直、涙が出る程嬉しかったのだけれど

お互いの素性はぼかしたまま生きてきた。

それでもアトスの背景を何となく感じていた私は、頭を抱えたのも事実。

いくら貴族といえど、規模が違う。

アトスは私と比較できない程の大貴族だ。

それに私は貴族だけど田舎娘で、十代で家出して行方不明。

パリに出て来て性別偽り銃士隊に入隊している

こんな

こんな経歴を持つ女と結婚なんて、どう考えたって現実的ではない。

いろんな嘘で創られたアラミスという銃士は、本来なら実在しない人物なのだ。

そんな私が結婚

想像したことすらなかった

好きだけど愛しているけれど

それ以上は無いものだと思っていた。

哀しいけれど、そんな資格はないのだと断った。

涙が出る程に嬉しかったけど私はアトスの足枷になりたくはないのだ

自分の引き際は自分で決める

潔くそう決めていたのに今、私はアトスと一緒に生きているのだ。

詳細は割愛するが、そう決めたのだ。

アトス程の身分であれば、名門貴族のご息女と結婚した方がいいに決まってる。

降って湧いたように現れた女と突然結婚するとなった時は、アトスは身内に囲まれ、

それはそれはもう大変だったらしい

らしいとは、アトスがそんな裏側を私に見せないように必死に護ってくれたからだ。

だけれども、人生そこそこ紆余曲折に生きてきたせいか、それなりに情報の感度は高めだ。

彼の足元を掬おうとする人間が居たことは把握していたけれど、

私の目の前で、アトスに縁談を勧めるような無遠慮で大胆不敵な者も居た。

これは相当だなと

私が心折れて泣いて田舎に帰る

それを期待していた腹黒い遠縁達の期待に応える必要は毛頭ない。

これでも銃士隊で鍛えてきた身だ。

その程度の嫌がらせで折れるようなメンタルではない。

負けるもんかと闘志が燃え広がったのも事実で

まあ、無粋な難癖は論破できたし、屈することもない。

表立って闘うワケではないけれど、飄々と躱すのが一番いいのだと気付き

自分らしさを保ちながら過ごしていたら、以外と退屈しないものだと知った。

そんな日々が経過し、いつの間にか相手からの攻撃は自然に薄れ

今は庭師と一緒に造園の図面を練っている

これが以外と楽しいので、好きにやらせてもらっている最中だ。

 

 

        ※※※※※※※※

 

 

一通の招待状に目を通した。

夜会の招待状

領地に戻ってから、舞踏会に晩餐会

社交界からいろんな招待を受けたが、基本、どれも丁重に断っている。

俺も彼女もこのような交流は息苦しくて疲れるという意見で一致している。

社交辞令でどうしてもそんな時は俺だけ参加する。

このような招待は夫婦同伴が通常だが、どうせ俺の奥方となった人の顔を見てみたいと

そんな興味本位なのが見え透いているのも不快なのだ。

隠すワケではないがもし参加者の中に銃士としてのアラミスを知っている者がいたら

やっかいなことになる可能性があるのも正直なところだ。

そして、その当の本人は、このような社交場に全くの興味がない。

纏う流行りのドレスも、豪華な宝飾品も目もくれない。

今はズボンを着用し、庭師と一緒になって広大な庭を駆けまわっており、造園に夢中だ

楽しそうで何よりである。

 

 

彼女に求婚するに当たって、俺は彼女に俺の背景の全てを伝えた。

ただ愛しているという気持ちだけで突っ走れるものでもないことを、よく理解している。

それに、超えなければならなハードルが沢山あった。

けれど、それさえ超えればいいのだ

なら、二人で越えればいいのだ。

彼女には誤魔化しも気休めも通じない。

だから本当のことをきちんと話した

俺と一緒に領地で生きて行くという事は、何もかもが快適という約束はできない。

領地での俺の立場が絡んできっと嫌な思いもするだろう。

それでなくても、今まであからさまなことばかりだった。

それにウンザリしたのもパリに出た一因だった。

パリに出る前も、出た後も俺に縁談を勧めて来ていた遠縁は沢山いる。

身内を俺の妻に据えて、この領地に根を張り権力を得たい者達だ。

だが、今まですべての縁談を断ってきた。

ところが、結婚したい女がいるなら養女にするから紹介しろとまで言われたことがある。

本当に開いた口が塞がらない

俺がきちんと身を固めずにいたせいもあるし、銃士になって好き勝手に生きてきたせいで

遠縁達は、俺の将来に関し、とにかく余計な口を挟んできたのは事実。

無視はしていたが、不快でもあった

アラミスに対しても、多大な不快を与えることは容易に想像できる

そんな事情を踏まえて、アラミスに求婚している俺もどうかしているがな

一緒に領地に行き、俺の妻という立場になる。

そうなると、その辺の事情はどうしても絡んで来るので、ちゃんと情報を与えなければならない。

だから正直に伝えたうえでの求婚だった。

あの碌でもない遠縁達のことも

俺はきちんと彼女に向き合い二つの選択肢を提案した。

「一つ目は何もしなくて構わない

社交界に出なくてもいいし、妻としての義務を果たさなくてもいい。

それでも奥方という立場になるので、生活するにあたり使用人が常に存在するし、

お前の環境を良くしようと躍起になるかもしれない。

それが煩わしく感じるな可能性はある。

適当に躱してくれて構わない。

「二つ目は伯爵夫人として、社交界やいろんな場で多くの人と交流ができる

ただ、俺自身はあまり社交場に積極的に赴く方ではないが、相手の方が

俺の立場や爵位に対してコネクションを求めて、お前に接近するかもしれない。

だが、このような世界お前も知っての通り華やかなだけではないし、

近付く者達の本音の部分では、お前に好意的な人間ばかりではない。

お前を利用しようとしたり、見下したりする者もいる筈だ。

それにお前自身が望まない義務に苦労することもあるだろう

「アラミスはどうしたい?」

酒の入ったグラスを弄びながら、彼女は静かに口を開いた

「アトスはなにかしてくれるの?」

「お前の環境をより良くしたい常にお前の盾になりたいと思ってる

「で?」

俺は試されているんだろうか

「盾が必要なくらいの環境なんだ

言葉に詰まる。

否定できないのが痛いところだ。

「アトスも大変だね

どこか他人事だが、本音を言うと彼女らしい。

「武器があれば盾は必要ないかな

「武器があるのか?」

「うーん捜してみる

そんな会話が、不思議と俺に安堵感を与えるのだ

「まあ相手にしてみたら、どこの馬の骨かも分からない女がやって来てアトスの隣に立ってれば、

困惑する気持ちは分からなくもないけどね

そして呟くように

「剣なら負ける気しないんだけど

と追加する。

いや確かに剣ならお前に勝る様な者は、この領地にはいないだろうな

思わず冷や汗が流れる。

アラミスは表情を引き締め

「アトスの全てを知って、共に生きていきたいと思ったので、その立場としての

責任は果たしたいと思ってる

彼女は真っ直ぐに俺を見据え

「けど望まないことに振り回されるつもりはないその時に発生した事案について

常に選択していきたいと思う

そうだな

そう潔い言葉が彼女らしくて心地良い

 

 

そんな過去のやり取りを思い出すと、思わず口角が上がる。

実際に俺がアラミスを領地に連れ帰ってから、それはもう遠縁達の失礼極まりない行動は酷かった。

彼女の前で平気に俺に縁談話を持ちかける。

全く知らない遠縁だという者の子供の養子縁組を持ちかけられる。

ドレスを着ない彼女に対する苦言と称する罵詈雑言

しまいには、彼女の愛馬の鬣が切られる事態に陥った。

証拠はないが犯人は明白だった

これ以上は見過ごせない

遠縁達には、そろそろ身をわきまえてもらわなければならない

だが、無碍に切り離すこともできないのがやっかいなところで、

相手のプライドを損ねないように持ち上げながら、それなりの駆け引き

だが、相手だってただの腹黒い狸ではない。

痛み分けとはいかないがそれなりに大きな金額も動いたし、多少なりとも折れるところは折れた。

「そんなにあの女が大事か?」

そう問われたが、そんな質問は愚問だ。

彼女と共に生きる為に戻ったのだ。

それ以外の望みなど、この世にない。

「ねえ

ある夜、彼女は読書しながら俺に声を掛けた。

「最近日常が快適過ぎるんだけど何かした?」

「これからずっと快適に過ごせる筈だ

「ふーん

その会話だけで、彼女は全てを察したようで、再び視線を本の頁に戻し文字を追う。

そして、キリのいいところまで読み終えたのか、本をパタリと閉じ

「何だかいろいろ大変だね

詳しいことは聞かない。

けれどきっと彼女のことだ。

大体の察しはついているのだろう

「ああでも、残念かな

「?」

「久々に銃を撃てると思ってたからね

そう言い放つと、にっこりと笑う。

「銃とは?」

狩りの予定はなかった筈だが

「その話聞きたい?」

「けっこう陰湿だから、思わず暗殺計画を練りそうになった」

あっけらかんと

「まあどこの世界もあんなもんかもね

「俺の対応が遅かったばかりに、お前に不快な思いをさせた

「不快かあんなの、銃士になりたての頃に比べたら、まだ可愛いもんだよ」

いや比べる基準がおかしい

「周りがあんなのばかりだと、アトスも苦労するよね

俺に同情してる場合か

「今度さ狩りに連れてってよ

「そうだな

彼女は大きく伸びをして

「眠いからもう寝る

そう言って寝室に行ってしまった。

彼女は穏やかに生きている。

これからも

今は造園に夢中で楽しく彼女らしく過ごしている姿に、俺は安堵してるのだ。

だが

手にした招待状に視線を落とす。

さて、どうしたもんかな

そっと招待状を机の引き出しにしまった。

 

 

本日の彼女もご機嫌で、大きな図面を広げながら、ここに噴水を引いて花壇はここでと、

楽しそうに説明してくれる

土質を調べる為に庭師達と穴を掘ったとかで、頬が土で汚れているし服も土まみれで、

女中頭が卒倒しそうだったが、全く意に介さないのが我が奥方の愉快なところだと、

周りにはフォローしている。

「植栽の構成が、ちょっと迷ってるんだよね

造園に関しては全くの素人だが、こうやって一緒に会話できる時間は癒しだな

そう思いながらグラスを傾ける。

「アトス

そんな俺を覗き込むようにアラミスは

「何か心配事?」

「どうしてそう思う?」

「それは愚問でしょ」

そう笑うアラミスには敵わないなと思うのだ。

俺は立ち上がって、先日、引き出しに仕舞い込んだ招待状を彼女に見せた。

隠し事はしたくないし、どうせ誤魔化しはきかないのだ

「夜会?」

「珍しいねいつもは考えなくても断っているのに

「確かにそうなんだが

「招待者はディテューグ伯爵アトスが唯一頭が上がらない人?」

「俺ではない

そう俺の父が、まだこの土地の領主だった時代に、大変世話になった人だ

父の片腕として、領地の繁栄に尽力を尽くしてくれた方だ。

俺の最初の結婚の時に、皆の反対を押し切って、唯一味方してくれた方で

その結婚が破綻した際に、俺を責めることも嘲ることもなく、ただ黙って、

一緒に酒を酌み交わし

俺が銃士となってパリに出ると決めた時も背中を押してくれた恩人だ

過去に想いを馳せる

「いや、俺だ

頭が上がらないとかではないが当時の俺を理解してくれた唯一の人だ。

その彼が、奥方と年内で隠居するので最後の夜会を開催すると

その招待状が届いたのだ

結婚したことは手紙にて報告済みだが、直接、アラミスを紹介したことはない。

聡明な彼は、新しい奥方を連れて来いとか、挨拶しろなどそんな苦言を一切言わずに

ただ祝福の手紙を送ってくれた配慮ある人だ。

きっと、この夜会が顔を合わせる最後になるであろう

だが基本的に夜会は夫婦同伴だ

このような招待は基本断ってはいるが、今回は俺一人でも参加すべきだろうか

「珍しく迷ってるんだね

「断る理由がない

「断るんだ

俺は頭を上げ、傍に立っているアラミスを見上げた。

実は俺だけの参加も検討はしていた

「行こうか?」

「?」

「一緒に

「だが

招待されているのは夜会だが、大勢の貴族達が集まる場だ

「舞踏会の警護とはワケが違うぞ

「ちょっと本気出してみようかな

本気とはなんだ

「たまにはね奥方としてアトスの役に立ってみたい

そう、あっけらかんと言う彼女は、一体どこまで本気なのか

「日にちと場所は?」

「一ヶ月後、リヨンだ」

「了解いろいろ励むよ」

どう励むんだ

いいのか

不安というか、心配というか

今までになかった事態に、俺の方が狼狽えてしまった

 

 

        ※※※※※※※※

 

 

道が悪いせいか、馬車が結構揺れている。

そんな中、よく寝てるな

それにしても

確かにアラミスは励んだようだ

今、目の前に居るのは、夜会に向かうためにかなり本気を出した奥方で

吸い込まれそうな程に美しい

ようやく伯爵夫人らしい振る舞いをしてくれるのだと、女中頭が張り切って、

ドレスを仕立てる段階から、かなり力を入れていたらしい。

そのドレスの出来は見事なものだが、このドレスの仕立てに関してアラミスの意見がどこまで

反映されたかは謎である。

当日は朝早くから準備に取り掛かる。

4人がかりで衣装と化粧と髪のセットと

確かにズボンの方が気楽だというアラミスの気持ちが分かる気がする。

女性の身支度とは、こんなに時間がかかるものなのか

俺は執事と持ち物の再チェックをし、そろそろ出発の時間

アラミスが俺の前に姿を現した。

これは

優雅に俺の前に現れ、にっこりと微笑む

「どう?」

思わず片手で自分の口を覆う。

白い肌に映える紅

動きは優美で動くたびに耳飾がキラキラと揺れる

銃士を辞めてから、ドレスを着ている姿を見てきたが

こんなにも

「黙ってたら乗り切れそうでしょ?」

口調はいつもの彼女で

「でもこの衣装重いんだよね

こんなに綺麗なのに、まるで悪戯っ子のように笑う。

女とは本当に

これ以上は口が裂けても言えないが

俺はこの世で一番美しい宝石を手に入れたのだと改めて思った。

だが、朝早かったせいか、彼女は馬車の中で爆睡

こればかりは仕方ない

とにかく彼女は、この一ヶ月、確かに励んだ。

毎日のようにダンスの教師を通わせ、たまに俺も練習に付き合った。

パリに来る前は、それなりに修得していたと聞いていたが

彼女曰く「そんなのすっかり忘れた」と、あっけらかんと言う。

率先して踊るつもりはないが、全く踊れないまま夜会に参加するつもりもなかったらしい。

「ま、これも武器になるかな

そう苦笑しながら、ステップを復習する。

「剣技の方が楽しいけどね」

そうだな

生き生きとした表情で剣を振る姿を綺麗だと思った

あのような表情を過去形にはしたくないな

 

 

馬車の窓から外を見る。

陽が沈んできた予定通りだ。

かなりの長旅だったな

アラミスはずっと寝てる

まるで体力を温存しているかのようで、思わず口元が綻んだ。

パリよりは比較的暖かいリヨンに別荘を持っているので、まず、そこに寄って荷物を下ろし、

彼女の衣装崩れや化粧を直し、手配してある馬車に乗り換え、ディテューグ伯爵の館に向かう。

ようやく目覚めた彼女が、窮屈そうに伸びをする。

「あ

「どうした?」

「片方落ちた耳飾

アラミスが拾おうと屈むのを制し

「俺が探すからお前は動くな」

かなり高価なものらしく、万が一失くしたら執事が卒倒するだろうな

馬車の中のどこかにあるだろう

だが、狭い馬車の中であまり身動きも取れず、耳飾を見つけられなかったが

次の馬車に移動する時には見つかるだろう

懸念していたがすぐに見つかり安堵していると、

「これもけっこう重いんだよね

そう呟きながらも耳飾をつける。

彼女にとって宝石とは、その程度のものなのかもしれない。

かと言ってセンスがない訳ではないのだ。

最低限、身に付けるために用意した宝飾を選ぶ目は確かで、控え目だが自分に一番映えるものを

ちゃんと選ぶ目を持っているのだ。

 

 

ディテューグ伯爵の館に向かう馬車に乗り換えると

「さてとこれからが本番か

アラミスの表情が戦闘前かのように引き締まる。

銃士だった頃も、こうやって着飾っている時も、この表情をしたアラミスは

とてつもないオーラを発揮する

俺の好きな表情で美しい

 

 

        ※※※※※※※※

 

 

ディテューグ伯爵の館

広大な土地をふんだんに使った城のような豪邸だ

私は私の役目をするだけで

馬車が到着する。

馬車の扉が開き、アトスが先に降りた。

そうして私に手を差し伸べる

アトスの手を握り、この馬車から降りた瞬間、私の力量が試されるのか

それも悪くない

私は真っ直ぐに見据え、アトスと共に中に入る。

 

 

けっこうな規模の夜会だ

招待客は数多く、何だか人でごった返している

私はアトスとディテューグ伯爵夫妻に挨拶に行き、何の失態もなく済ませた

伯爵夫婦は物腰柔らかく、アトスが招待を無碍に断れなかったのも分かる気がする。

積もる話もあるだろう

共通の知人らしい男性が数人アトスに声を掛ける。

その度に私は丁寧に挨拶をする

ちなみに、この界隈の人々はアトスの事をラ・フェール伯爵と呼ぶ。

私はアトスとうっかり呼ばないように意識しながらも、彼の懐かしい人達の場に自分が居ても

仕方ないと判断して、アトスにそっと耳打ちをすると、アトスは優しく微笑みながら耳打ちを返す。

私は小さく微笑んで、その場をそっと離れた。

端から見たら、仲睦まじい夫婦だと思っているだろうが、なんてことはない。

耳打ちの内容は

「おなかすいたし、お酒飲みたいから、あっち行って来る

「了解」

そんな感じ

私は軽く会釈をし、その場から離れた。

本会場に行くと酒の入ったグラスを渡されたので、遠慮なく呑み干す。

まあこれはこっそりと

食事は軽食で立食なので、食べたい物を適当に皿に取り、摘まみながら新しい酒を飲む。

酒と料理は美味しい

こうやって時間を潰しておくかな

グラスが空になりそうになると、新しい酒を渡してくれる親切な男性が何人もいる

親切

そんな言葉で片していいのか

さっきから同じ男性が酒を手渡してくれる

なんか、嫌な予感がしたのだけれどやっぱり

その男性がグラスを手渡しながら声を掛けて来た。

なんとかに住む、なんとか男爵の嫡男だとか

正直、あまり聞いてなかった。

名前を尋ねられたので、既婚者だと強調する為にラ・フェール伯爵夫人と応えたが、

これがもう、どうしようもなく擽ったい

何だかいろいろ質問してくるし、恥ずかしい程に褒めてくれるのだけれど

ちょっと

これは困った

これは完全に私をそう言う目で見ている

いやいやない

強くあしらって注目もされたくはないし

アトス早く戻って来ないかな

音楽が響きだした。

なに?

ワルツ?

「一曲どうですか?」

と、そのなんとか男爵の嫡男が手を差し伸べる。

いや

一曲どころか、全くもって嫌なんですけど

社交辞令で一曲くらい踊ってやればいいのだけれど、

やっぱり、やだな

その手を取れずに戸惑っていると、背後から腰をグイっと支えられた。

アトス!

アトスが助けてくれたのだと思った嬉々として振り向く。

えっ!?

驚きすぎて固まってしまった。

「彼女は先に俺と踊る約束してたんだ悪いな

そう言いながら、私を強引に引き寄せた、そっと囁く。

「この男のプライドを立ててやらんと、揉めたら大注目を浴びるぞ

私は、そのなんとか男爵の嫡男に微笑み

「ワルツは夫と踊る約束なので

「それは失礼しました楽しんでください

なんとか男爵の嫡男は深々と頭を下げて、別の相手を探しに行く

なのに私は、そのままワルツを踊る場に引っ張られる。

「ちょっと

「俺はいつからお前の夫になったんだ?」

楽しそうに囁く目の前の男

まさか

もう逢うことなどないと思っていたのに

なんで

ロシュフォール伯爵

私はその手を振り解こうとするが、男は囁く

「助けてやったんだ一曲くらいいいだろう

「何で私が

「それともラ・フェール伯爵夫人は剣は振れても、ワルツは踊れないとか?」

思わずムッとする。

「お前こそワルツなんて全く想像できないんだけど

「お互い様だ

クツクツ笑いながら腰を引き寄せる。

「なんで居るの?」

「これでも一応招待客だ

流れる音楽に逆らうと目立つので、仕方なくワルツを続ける

「奴はどうした?」

アトスの事を言っているのだ

「少しだけ別行動

「成程美しい奥方をほっておくと、こうやって悪い男が群がる

「別にほっとかれてるワケじゃないし

自惚れでも何でもなく、私達を含めた複数の男女がこうやって踊っている姿を見られている。

その立ち振る舞いや、ドレスの色やデザイン、身に付けている宝飾など

値踏みとまではいかないけれど、その一瞬で噂になるそんな世界だ。

銃士の頃から知っている。

だから私達を来賓達は見ている。

変に目立つワケにはいかない

ワルツは笑顔で

近付いた時に会話を繋ぐ

「お前気付いていたか?」

「何を?」

「この会場の男共は、お前を見ていたことに

「ラ・フェール伯爵の連れが気になっただけじゃない?」

「黙ってればお前が一番美しい

黙ってたらって何だ?

「ドレスに化粧に宝石ずいぶん化けたな

「当たり前だろ本気出したんだから

ロシュフォールが笑う。

「ダンスは昔取った杵柄か?」

「まさかすっかり忘れたから、練習した」

「結果が出てるな

「本気出せばなんてことない」

でも

「まさか、お前と踊るなんて思いもしなかった

「この夜会には気乗りしなかったんだが、来た甲斐はあったな」

「お前は

独り身なのかと、聞きたかったけれど、上手く言葉にできない。

なのに、この男は私の問いが分かっていたかのように

「お前以上に欲しい女など、現れなかったらな

臆面もなく口にする。

「パリで何も言わずに俺の前から消えるなんて、いい度胸してるじゃないか」

「何か勘違いしてるんじゃない?」

「ほう

「お前に何か言う必要なんてないだろう

私はお前を愛していないのだから

「それに私がどこでどう生きているかなんて、とっくに把握済だったんじゃない?」

「確かにな

「この再会は仕組まれたもの?」

「だったらどうする?」

お互い、探り合うかのように視線を絡める。

「別にどうもしない

「そうか

この再会に意味があるのかないのかなんて知らない。

ただ、私は揺るがない。

「お前がつまらない女になっていたなら掻っ攫ってもいいかなとは思ってたがな」

「相変わらず物騒な事言うね

「伯爵夫人の生活に退屈してるんじゃないか?」

「そう見える?」

ロシュフォールは私の耳元で

「また俺に抱かれたくなったんじゃないかと思ってな

「ロシュフォール

私は感情を奥底に沈めながら言葉を紡ぐ

「私を抱きたいとはっきりそう言えばいいじゃないか

男が目を細める。

「忘れらえないと私が欲しいと

「そう言えば俺はお前を手に入れられるのか

「そんなことお前が一番わかってるだろ

流れている音楽が最終章に入る。

「どうやってもお前を手に入れることは叶わないのだな

「ロシュフォールパリでお前と過ごした夜は悪くなかったよ

でも愛じゃない

そんな言葉では括れないような

そうもっと開放的で恣意的で刺激的で

「でもそれだけじゃ生きていけない

「そうか

アウトロが流れ始め

「だから最後のダンスだ

曲が静かに終止符を告げる

次の曲に切り替わる前に、私はロシュフォールの腕から離れ深々とお辞儀をし、

そしてゆっくりと頭を上げ

「もうお前とは踊らない

真っ直ぐにロシュフォールを見詰めると、彼も立ち尽くしたまま私を見詰める。

視線が絡む

そうして私は視線を外し、その場から抜けた。